2014/02/21 更新

宮田村『文化財マップ』

宮田村教育委員会では、平成元年に刊行した「宮田村の文化財」をベースに、その後の石造文化財や古木・名木、埋蔵文化財の調査成果などを盛り込んだ「文化財マップ」を作成しました。
 マップには、地域の皆さんが文化財の所在を確かめ、実際にその場所へ出かけて見ていただけるよう、現状の写真をできるだけ載せてあります。
 また、地図の裏面では、時代やテーマを設定してそれにかかわる文化財について解説を加えました。
 実際のマップ(印刷物)については持ち運びに便利なよう小さめに折りたたんであります。このマップを片手に、身近な場所に残された文化財を訪ねてみませんか。

◆宮田村文化財マップ表面(PDFファイル)はこちらから 

◆宮田村文化財マップ裏面(PDFファイル)はこちらから

以下は文化財マップの一部を抜粋したものです。

名称 景観 解説
元宮神社 bunkazai_1 北割の皆さんの信仰をあつめる元宮神社は、1908(明治41)年に、諏訪社に八幡社や天神社などを合わせて新しい神社として出発しました。現在は、中央道の工事のために場所を移した覆殿の中に、古い歴史を持つ諏訪社の社殿を中央に据え、その左右に八幡社と天神社の社殿を祀ってあります。宝蔵に元宮神社の宝物とともに江戸時代からの北割区の史料が大切に保存されており、境内の北側には太い杉の木が並んでいます。
元宮神社舞台
(村有形文化財)
bunkazai_2 1866(慶応2)年ころに建てられた寄棟造りの建物です。当初は回り舞台で、その機構は今でも床下に見ることができます。正面は間口を大きくするために屋根を切り落としてあり、左右には浄瑠璃語りが座る袖の間の痕跡を残しています。鉄板で覆ってありますが村内にただ一つ残された茅葺建物でもあります。

原始・古代の文化財(縄文時代前期)

名称 景観 解説
中越遺跡(県史跡 bunkazai_3 >宮田村で発見された人類最初の足跡は、中越遺跡と三つ塚上遺跡で採集された旧石器時代の黒曜石の尖頭器と彫器です。約1万年前の縄文草創期には田中集落の西の向山遺跡に、村内では最古の集落が生まれ、縄文早期の末には北割の元宮神社東遺跡に規模の小さな集落が営まれています。
 そして、今から約6500年前の縄文前期初頭に、中越遺跡と駒ヶ原南遺跡に特徴のある集落が出現します。なかでも中越遺跡の集落は、規模が極めて大きく、台地の北縁の東西300m南北180mの範囲に広がり、これまでに確認できた家の跡は200軒を超え、発見から50年を経過した今でも、縄文前期では本州最大の集落遺跡という位置は変わっていません。広い範囲に家が散在する形で突然姿を現すこの集落は、発見された土器の特徴と、周辺の同時期の集落の様子などから、縄文時代に入って進行していた地球規模の温暖化に伴って海水面が上昇する、いわゆる縄文海進によって住みかを失い、天竜川に沿って遡上してきた海辺の民によって営まれた集落であると考えられています。台地北側にあった豊かな湧水が、この大規模集落が営まれる要因の一つでした。
 中越式土器と呼ばれている彼らが作った土器は、底が尖り薄手で文様が少ないのが特徴で、最も古い土器の形や文様構成は東海地方のものと瓜二つ。当時の交易圏の広さを物語るように、遺跡からは、密接な関係にあった東海地方ばかりでなく、関東地方や北陸地方の土器も出土しています。石器も非常に多く、大量の黒曜石で作った石鏃、石匙(つまみを付けたナイフ)、石錐、石錘などとともに、硬砂岩や緑色岩の転石を使った磨石や礫端叩石、大きな平石の石皿など、植物食に関係する石器が多く出ています。精神性の強い石器とされる岩偶は、まさに芸術作品といっていいでしょう。
中越遺跡出土品(県宝・土器28点) bunkazai_4
中越遺跡出土品(県宝・石器191点、石製品2点) bunkazai_5
岩偶(県宝) bunkazai_6

原始・古代の文化財(縄文時代中・後期、弥生時代以降)

名称 景観 解説
中越遺跡出土品 bunkazai_7 >前期後半、村内の遺跡の数は激減しますが、約4000年前の縄文中期に再び増加します。駒ヶ原台地の北縁や西山山麓の小扇状地上にもいくつかの集落が営まれ、中でも中越遺跡では、台地の南縁に中期の初頭から後期まで続く、息の長い集落が発見されています。その規模は東西500m、南北200mと非常に広大で、これまでの調査で発見された家の跡は160軒を超えます。特に、中期中葉から後葉にかけては非常に大きく濃密な集落があることが想定され、蛙や蛇の文様が付けられた有孔鍔付土器などを含むたくさんの土器と、打製石斧、乳棒状石斧、石錘などの石器が出土しています。
 台地南側の一段低い面の、石だらけの場所を選ぶようにして継続する縄文後期の中越遺跡の集落は、壁に石を積み上げた家や石を組んだ墓など、石を使った遺構が特徴です。一方同じ時期の田中下遺跡では土製耳飾りが多く出土しており、そこでは耳飾りを使った祭祀がおこなわれたと推定されています。
三つ塚古墳 bunkazai_8 >姫宮神社の西の台地上の姫宮遺跡からは、約1800年前の弥生時代後期の家の跡が28軒発見されています。おそらく北側の長坂沢扇状地がせき止めた湿地「すくも地帯」での稲作がその生活基盤であったのでしょう。
 三つ塚古墳とカラス林古墳が駒ヶ原に、天白古墳が北割の長坂沢の扇状地上に築かれていましたが、その多くは今はもうありません。また、それらを造った人たちの集落がどこにあったかもまだ解明されていません。また古代の格式をまとめて927(延長5)年に完成した延喜式には、東山道に、駅馬十疋を備えた「宮田」の駅を置くと書かれており、地名と前後の駅の配置から、宮田村付近にこの駅があったとされていますが、その場所もいまだに確定していません。

中世の文化財

名称 景観 解説
小田切氏の遺跡 館跡 bunkazai_9 南割の小田切川北の尾根上に土塁で囲まれていた屋敷地があります。背後に湿地が切れ込んでおり、小さな舌状の台地の先端に位置する小田切氏の館です。

彫刻

名称 景観 解説
大田切人形頭
(村有形文化財)
bunkazai_10 宮田村民会館に38体の人形浄瑠璃の頭があります。衣装や幕とともに大きな箱に入れられていたこれらの頭は、大阪から伊那谷へ来て大田切に寄留した人形芝居の師匠、三代目吉田金吾の活躍を物語るものです。金吾が伊那谷に来た年代ははっきりしませんが、銘によれば、大田切で自分の頭を作り始めたのが明治4年、亡くなるまで大田切に住み、黒田をはじめとする伊那谷南部の人形座に師匠として招かれています。

伊那街道と宮田宿

名称 景観 解説
宮田宿 bunkazai_11 宮田宿の規模は南北160間(約300m)。南端に白心寺を移し、北端はわざと道を東へ曲げ、更に北へ直角に曲げる「大曲り」となっており、幅5間半(10m)の広い通りに面した両側に、近くから移した板葺き石置き屋根の家がびっしりと並んでいました。当初は南割の中にありましたが、1720年代ころ独立した村としての形が整えられたようです。
 白心寺の南には天王社が建てられ、1771(明和8年)、その道向かいに西国三十三箇所の札所観音を納めた堂を建てており、1890(明治23)年の大火のあとには、南半の建物の多くが土蔵造りに改められました。宿場のために西方の川から5本の井を引いてあり、今でもその名残を見ることができます。
分杭(村有形文化財 従是北高遠領碑) bunkazai_12  1690(元禄3)年の検地のとき、双方の主張が食い違い争いとなった宮田・中越村と上穂・赤須村との境に杭を建てることにし、太田切川の北岸に、宮田村分4本、中越村分4本が建てられました。このとき、高遠藩では領域に沿って105本の分杭を建てたということです。
 分杭は、氾濫を繰り返す太田切川によってしばしば流され、その度に建て替えていましたが、高遠藩の重要な地点の分杭を石製に替えようという計画のもとに、伊那街道に沿った2本を、1827(文政10)年3月、下殿嶋と表木の石工に請負わせました。この石の分杭は、完成したものの幕府の許可が下りずに建立予定地近くに埋め置かれるのですが、後に掘り出され、現在は、津島神社境内と大田切の国道脇に建てられています。
春日街道 bunkazai_13 伊那街道の西にそれと平行して走る道がもう一本あります。この道は、小笠原秀政が家臣の春日淡路守に命じてつくったことから春日街道と呼ばれています。
 1613(慶長18)年、松本へ飯田から小笠原秀政が入封し、飯田領も引き続き秀政預かりとなりました。このとき松本城は整備途上にあり、中断した工事を続けるために、飯田城にあった櫓や天守までも解体して松本まで運んだとの記録があるようです。
 そのとき最短距離で結ぶ道として開かれたのが春日街道であり、わずか4年後の1617(元和3)年、秀政父子のあとを継いだ小笠原忠真の播磨明石への移封とともに、この道はその役目を終えたということです。

その他(マップ裏面から)

名称 景観 解説
姫宮神社 bunkazai_14 南割にある古社で、祭神は宮簀姫命。社叢にはサワラの大木がたくさんあります。
姫宮神社例大祭
(村無形文化財)/th>

bunkazai_15 祭日は9月の第三土日曜日。以前姫宮神社の分社があった大田切では、年番の年には、ほぼ一日をかけて南割のお宮までお練りをしています。鍾馗に先導されて、お練りの子供らにまねかれて獅子が進み、ひょっとこがこっけいな身振りで見物人の笑いをさそいます。
熊野寺
(松戸のお薬師様)
bunkazai_16 中央道建設によって取り壊されるまで、江戸時代中期に建てられた茅葺きの薬師堂、庫裏と熊野権現社がありました。
丸山の蚕玉様 bunkazai_17 養蚕の神を祀る丸山の蚕玉様は霊験あらたかな神として近隣に知られ、5月8日の例祭には相撲や弓が奉納され、出店も多く、駅から参拝者が列をなしたといいます。1952(昭和27)年、伊那峡へ移されました。
稚児塚
(村史跡)
bunkazai_18 熊野寺西の山中にある花崗岩塊の集まりです。昔、熊野寺の例祭で舞の所作を間違え、打ち首となった稚児を葬ったとの言い伝えがあります。
駒潰れ bunkazai_19 馬の蹄の跡といわれる凹みのある自然石。駒ヶ岳を越えて攻めてきた木曽義仲の乗馬がここで倒れたとの伝説もあります。
全昌寺 bunkazai_20 西方の堂平に祈願寺として建てられ、後に真慶寺の末寺として再建されました。
白心寺 bunkazai_21 宿場町の南端に位置する浄土宗の寺。寺伝によると寺沢山中に前身となる寺があり、南割小田切、同田中のいずれも字「寺垣外」地籍を経て現在地に移されたといいます。
圓浄寺 bunkazai_22 諏訪神社とともに中越の古い集落の西端にあり、1936(昭和11)年に上伊那で初めての季節託児所「ルンビニ託児園」を開所しています。
諏訪神社 bunkazai_0 中世からの集落の西端にあり、地区内の多くの祠が集められています。
熊野神社 bunkazai_23 正式には熊野若宮社といい、諏訪社と八幡社を合祀してあるほか、境内に地区内の祠や石碑をいくつか移してあります。
 例大祭は4月第4土日曜日。社前で悪魔払いの舞が舞われます。(村無形文化財)
特別天然記念物 カモシカ
(中央アルプス駒ヶ岳)
bunkazai_24 県天然記念物に指定されている千畳敷カールは、濃ヶ池などと同様、約2万年前の最終氷期の最盛期に発達した氷河の痕跡です。すり鉢状のカールは底の標高約2600m。ゆるやかな東斜面に、多種多様な高山植物が生育しています。ロープウェーの終点千畳敷ホテルが建つのも、氷河が運んだ岩石モレーン(堆石)の上です。
 長野県内で記録のある脊椎動物417種の5分の1、自生する在来植物2979種の4分の1が絶滅する恐れがあるとされており、それらにどのように対応していくかが、固有の生物多様性を未来へ残していくうえで重要な課題です。

  (写真提供:茅野市教育委員会、飯田市美術博物館、後藤 寛 氏)

絶滅危惧類 イヌワシ
(中央アルプス駒ヶ岳)
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準絶滅危惧種 ヤマネ
(中央アルプス駒ヶ岳)
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県指定留意種 クモマベニヒカゲ
(中央アルプス駒ヶ岳)
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県指定留意種 ベニヒカゲ
(中央アルプス駒ヶ岳)
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このページ内容に関するお問合せ先

教育委員会 生涯学習係
  〒399-4301長野県上伊那郡宮田村7021番地(村民会館内)
  電話 0265-85-2314  FAX 0265-85-5583  E-mail  kyoiku@vill.miyada.nagano.jp

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